供養って何?永代供養との違いとは

目次

供養とは何だろう?

私たちは、日ごろから「供養する」という言葉を使いますが、そもそも、「供養」とは何でしょうか?お坊さんにお願いするもの?自分たちでもやれるもの?
供養について説明します。

供養の語源

供養の語源は仏教の言葉の「プージャナー」で「尊敬」という意味です。
語源から考えると供養という言葉には亡き人のおかげで今の私たちがあるというご先祖様だけじゃなく、全てを敬う気持ちが含まれていることが分かります。
現代では、人だけでなく動物や昆虫、人形、お墓、仏壇、鏡、針なども供養の対象となっています。命を持たないものに対しても、感謝の気持ちを込めて祈りを捧げる対象になっているところが日本らしさ。日本古来の神道では「八百万の神」と言い、全てに魂が宿ると信じられ、自然だけでなく物も大切にしてきました。現在の私たちにもその信仰心が代々受け継がれ、自然と思考に影響しています。
「全ての神が宿る」
この世は神様に囲まれています。相手を敬う気持ちと物質に対しても「もったいない」を大切にしてきました。

供養=尊敬

身体にしみついた日本の民俗信仰が、インドから中国に入り入ってきた仏教との親和性も重なり、影響し、日本独自の信仰が生まれています。

供養とは子どもの教育!?

もうひとつ面白い「供養」の考え方があります。
日本の民俗信仰では、魂は肉体から離脱・分離されたものと考えられています。そのことを「出産」と見立て、魂をあの世で生まれた「子供」として考えました。この世に残されたものは、その子供を「養育」していくという考えです。

「子供養育」の「子」と「育」を外すと「供養」

あの世に生まれたばかりの子供と捉え、それを養うために何をするか?
まさに、魂を育てるというホスピタリティー。日本人が世界に称賛される相手を思い行動するホスピタリティーこんな信仰心から来ているのかもしれません。

現代における供養とは

現代における供養は、仏壇やお墓などで故人に供物や花をお供えして、亡くなった人の冥福を祈ることを指しています。また、ご住職に読経してもらうこと、仏壇やお墓にお線香をあげる行為なども供養のひとつです。

一般的に行なわれる供養と永代供養と追善供養

一般的なイメージとしては、仏様が出てから残された家族が行う供養があります。具体的には、年忌法要(四十九日、一周忌、三回忌など)やお寺の行事に参列し、お経を故人の冥福(めいふく)を祈るもの。

それに対して、永代供養とは、お寺や霊園などで宗教者が、施主様の代わりに文字通り、永代に渡って仏さまを供養してくれるというものです。平たく言うと、その後の供養をマルっとお願いするもの。最近では永代供養のついたお墓も多くなっています。

供養には、追善供養(ついぜんくよう)というものがあります。
追善供養とは、生きている人が亡くなった人の冥福を祈って行う供養のことを指します。
故人のために善を積むことで、故人がより良い世界に生まれ変われるよう応援すると共に、その善行が自分自身にも返ってくると考えられています。
なお、浄土真宗の場合、人は亡くなると阿弥陀如来の力ですぐに成仏できる(往生即成仏)と考えられているため、通常追善供養は行いません。
宗派にもよりますが、残された家族が現世でお供えなどをし、浄土に行くのをサポートすることを追善供養と言い功徳を積むものと言われます。

故人を思い出す時間が供養になる

これまで供養についてお伝えしてきましたが、難しいことはさておいて、大切なのは「相手を思う時間」をもつことなのではないでしょうか?
日常に追われ、つい、自分ことばかりになりがちな現代。ご先祖様や亡き人を思う時間は、非日常であり、ご自身の気持ちと向き合う時間にもなります。

お仏壇やお墓など、想いを向ける対象があると供養のきっかけになります。
納骨堂てらすは、気軽にお参りができる「お墓に代わる新しいカタチ」です。お線香もお花の用意がなくてもいつでも行けるので「コンビニ感覚でお参りができる」と友人に説明しているという契約者の方もいます。良かったら、365日ご案内できますのでお気軽に見学にきてください。


ぜひ、皆さんも思い立ったが吉日。お参りに行ったり、目を閉じて、故人への思いを向けてみてはいかがでしょうか?

目次